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児島高徳ゆかりの寺を訪ねて

12月7日

保存会初の歴史探訪日帰りの旅に出掛けました。

米子にある児島高徳ゆかりの寺涼善寺で、迎えて下さった現地のボランティアガイドさんの

丁寧な説明に歴史の深さをしっかりと感じる事が出来ました。

涼善寺 児島高徳遺芳塔

平成3年11月24日、涼善寺において「児島高徳公六百十年遠忌」が行われた。

これは平成元年の夏、松の切り株の根元に埋まっていた石碑が見つかったのがきっかけであった。

     誠忠 小嶋高徳遺塔
 
      昭和五年四月七日 千代泰治建之

という文字が刻まれている。

石碑は米子市中町の医師千代泰治氏が建碑されたものである。

昭和五年三月、同氏は涼善寺檀家の診察中に涼善寺の墓地に児島高徳の墓碑のあることを聞き、その

調査に乗り出された。

遺芳塔の建立された日は、千代氏が一つの位牌を発見された日でもあった。

その位牌は児島高徳の十七代子孫である古谷作太夫一政の菩提を、その子古谷如水が弔ったもので、位

牌には次の様に書かれている。

                元文五申(1735)四月一日           
              
             正月十日                古谷如水翁

         江源院酬誉想岸永吟信士          宝暦三酉(1753)

         法雲院浄誉妙閑清信尼           玉誉妙貞尼

         五月一日                    十月二十日       


この位牌は、千代泰治氏が涼善寺本堂の屋根裏に投げ込まれていた数百の古位牌を詳しく調べて

発見されたものである。

古谷作太夫一政の妻「法雲院浄誉妙閑清信尼」は菅原氏の出自であり、徳川家康の生母伝通院の

系統で涼善寺開基と言われている「大賓院珠慶夫人定尼」とその系統を同じくしている。

古谷氏の祖は近江源氏で、佐々木三郎左衛門尉源盛綱が戦功により備前国児島を領し、その子信実が

児島に移って「児島」を称し、その七大目に小嶋三郎高徳がいる。

さらに高徳より十六代目の小嶋作助忠政に至り、古家ということから「古谷」と姓を改めている。

天正年間、戦乱を避け紀伊の移ったが、近隣の地侍と争いがあってこれを討ち、作助は知遇の出雲国

松江城主小尾刀吉晴を頼って松江を訪れ、出雲浦の代官のなっている。      




  



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Date: 2013.12.22 Category: 郷内歴史保存会 歴史探訪 米子と出雲  Comments (0) Trackbacks (0)

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私達「郷内歴史保存会」は、
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更新につきましては、まちまち
ですが、勉強会や説明会、及び
地区のイベント等の情報を載せ
ていけたらと思っております。


基本は楽しく歴史を学べる場と
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これからもどうぞ宜しくお願い
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