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十五夜丹蔵の碑

二十一、十五夜丹蔵の碑

由加北参道の森池に立つ由加大鳥居から尾原の方へ約百メートル程進んだ左山側の目の高さに「十五夜丹蔵」と

刻まれた石碑がある。

丹蔵の本名は小原惣右衛門といって大阪角力の幕下まで進み、千田川部屋の頭取となった郷土出身力士で、帰郷後

はこの石碑のある位置からもう少し上にあった段々畑の中に庵を建って住んでいた。

丹蔵は相撲が強いだけでなく人の世話をよくし、村祭りの草相撲では勧進元になって若者の面倒も良く見ていた。

六尺余りの美男子だったので、池田の殿様の{お六尺」をつとめていた。                   

「お六尺」とは殿様を乗せた駕籠が増水の大川を渡る時、場合によれば両手で駕籠を差し上げたまま自分は水の中

を進む役のこと。

相撲はもともと武士の楽しみで、屋敷内に土俵が作られ、上段の屋敷に坐って大名たちが見物して楽しんだのが始まり

で、江戸初期には庶民には見物も興行も禁止されていた。

しかし、段々民衆の力が強くなり、江戸中頃から、勧進相撲が許されるようになり、岡山藩では貞享四年(1687)

八月に林の熊野権現から七.八の祭礼に権現境内で勧進相撲を行いたいと、大守神官と大願寺社僧の連盟で願が出さ

れ、藩は三日間の興行が許可された。

この期山伏は峰入りで不在であった。興行の記録は無い。

IMGP2009_convert_20131008162658.jpg

石碑に」慶応二寅年七月五日とあるが。命日と思われる。

この石碑は、村人達が丹蔵の顕彰と供養のために生前住んで居たこの地に碑を建てたそうで、一説にはこれが墓石で

あるともいわれている。

尚、当時この辺りは段々畑が梅林となっており、春は梅の花が一面に咲き、前の森池との風情を古市金峨が絵にしてい

るという。

IMGP2012_convert_20131008162844.jpg






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Date: 2013.10.08 Category: 十五夜丹蔵の碑  Comments (0) Trackbacks (0)

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