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新熊野三山の「諸興寺」跡

熊野三山の一つとして、新宮に見立てた諸興寺は、小字下木見から寺内にかけて、

七堂伽藍が建ち並んでいたと伝えられるが、熊野権現と共に応仁の乱に伴う戦火に

殆どが廃塵に帰し、諸興寺についての記録は何も残っていないと云われる。

しかし、「吉備温故秘禄(灰寺の部)」には「その遺跡を見ると泉池古井が存在し、

灰寺であることが判り、付近の田から時に古瓦の破片が出土するが、その紋様形質から

すると、その建築時代は少なくとも鎌倉時代以前のものであると推知することができる」

と書かれている。

また、昭和48年発行の倉敷市史第二冊の〜頼仁親王墳墓考のところに、頼仁親王の墳墓は

備陽国志に拠れば、「宝治元年(1247)4月12日、五流尊瀧院に死去し給い木見村諸

興寺に葬り、その所を「若宮御霊殿という」とあり、今諸興寺は廃願して僅かにその地名を

存するに過ぎざるも、当時は在ては雄大なる巨刹たりしことは同署廃寺の部に「五流尊瀧院は

修験道の寺院なれば、主として祈祷を修するものにあらざれば、これを避けて通常の寺院なる

諸興寺に埋葬法要せられたるを至当とすべし」とある。

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Date: 2013.09.03 Category: 新熊野三山の「諸興寺」跡  Comments (0) Trackbacks (0)

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