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足の神様

辞書によると、「邪霊の侵入を防ぐ神」 「道行く人を災難から守る神」とあり、昔の村堺に祭られ

ていた。

福江と広江の堺はこの場所より少し広江よりではあるが、今「さいのかみ」として祭られている場

所の道路中央に、大きな「かしの木」があり、ここに「障りの神」は祭られていて樹には「わらじ」の

片方が吊るされていた。

これは、足を悪くした人が悪くなった側のわらじを持って「さいのかみ」にお願いすれば、もとの健

康な足に戻してもらえる、おかげがあると言い伝えられた姿である。

この「わらじ」の姿は、昭和の中頃くらいまで見られたが、車の交通量が増えて、道の真ん中にあ

った大樹は取り除かれ、今の姿となった。

神様足の
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Date: 2017.06.30 Category: 四十六 足の神様  Comments (0) Trackbacks (0)

岩椿神社

岩椿神社
岩椿神社は、林の福岡神社、曽原の清田八幡神社、福江の妙見宮(木華佐久耶比咩神社)

と同じ古社であるが、いつ頃の創建かは不明。

この一帯はもと古墳丘であったようで、岩椿の名もそれに由来したものではないかと思われる。

巨石が残っているのもその感が強い。

木見の氏神様で祭神は天手力男命と云われ、宮角力(相撲)も盛んであったが、いつの頃からか

木見の氏神様は天満宮に変わっていった。

これは、森池の改修によって岩椿神社が大きく変化(縮小)したことから、天満宮が集落の中心に

当たるため等が原因と思われる。

しかし、宮角力は十五夜丹蔵の帰郷により盛んとなり、その流れは今も地域児童の子供力士として

残っている。
Date: 2017.06.27 Category: 四十五 岩椿神社  Comments (0) Trackbacks (0)

桜井小学校跡地

櫻井


林地区の小学校は、明治六年四月二十五日、林の真浄院(当時は小学校の校門から

下った一帯)で教師三名児童男二十名、女子七十五名で習字、読み書き、和算を教え

た記録にある。

明治七年、開校の翌年には真浄院から当時大願寺の客殿(今の忠魂碑が建っている


場所)と先年消失した長床を教室として、大願寺の前の桜井塚にちなんで、桜井小学校

とした。

明治十七年、桜井小学校は、初、中学校となり、木見小学校(硯池小)は初等科のみで、

中等科になると桜井小学校「に通学した。

明治十七年、小学校が尋常に、中等科が高等科に改められ、高等の学区は天城、藤戸、

木見、福岡(林)、彦崎、粒江、興除となった。

明治二十三年、学区の変更により福岡尋常小学校と改称、高等生は高等天城小学校は

への通学となったが、当時郷内からの通学は数名しかいなかった。

櫻井

Date: 2017.06.24 Category: 未分類  Comments (0) Trackbacks (0)

福南小学校跡地

福南自動車工業


明治十年、当時としては、数少ない新築校舎で開校さえれており、地域の人々の

熱意が感じられる。

しかし、児童数は男子五十名女子五名で当時の女性に対する考えが現れている。

義務教育となった小学校も最初は無料でなくて、授業料月五十銭と二十五銭(下等)

で、兄弟が多いと下等分が半額や全面免除になっていた。

小学校の下等は六才~九才、上等は十才~十三才の各四ヶ年で入学時が八級で、

半年毎に進級試験を受けて合格すれば一級ずつ進級する制度であった。

明治六年桜井小学校に合併される。

DSCN4145福
Date: 2017.06.24 Category: 未分類  Comments (0) Trackbacks (0)

由加参道丁石

DSCN4136_convert_20170624170426.jpg


地蔵さんの右側に「瑜伽山へ福田新田五ノ割内」左側に「左者ざ川八幡道」上に「三十八丁」

と彫られている。

由加


これは、元は近くの三叉路にあったと思われる。

場所は元の設置された位置とは違っていることを念頭に置いて考慮されたい。
Date: 2017.06.24 Category: 四十四 由加参道丁石  Comments (1) Trackbacks (0)

三余塾


三余塾


明治の初めは、行政変革がめまぐるしく、教育制度もこれによって変動している。

明治6年12月、古市萬三を教師として児童三十四名、寺子屋式の授業を古市

克己氏の離れで始めた。

明治9年硯池小学校と改称、児童95名、女十六名

明治23年、木見、尾原、山村が合併してきみ村となり、木見の本校を新築、第一

木見尋常小学校と称し、尾原は分教場、山村(由加)は支校(今琴浦北小学校の場所)

とした。

明治31年、木見、尾原の校舎を統合して今の藤原直樹氏の屋敷に福岡尋常小学校木見

分教場を新築した。

明治2年、木見分教場より尾原分教場(尾原689番地)へ新築移転した。
Date: 2017.06.15 Category: 未分類  Comments (0) Trackbacks (0)
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プロフィール

郷内歴史保存会

Author:郷内歴史保存会
ご訪問有難うございます。

私達「郷内歴史保存会」は、
今消えつつ有る、地元の貴重な
歴史の足跡を後世に残す為に
発足致しました。

更新につきましては、まちまち
ですが、勉強会や説明会、及び
地区のイベント等の情報を載せ
ていけたらと思っております。


基本は楽しく歴史を学べる場と
して、老若男女、沢山の方々に
参加して頂けたらと考えています。


これからもどうぞ宜しくお願い
致します。

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