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郷内中学校2年生による 歴史探索

2013年11月22日に行われた郷内中学校2年生による郷内歴史探索。

その日は探索にもってこいの快晴の日。
班別自主活動が9時より行われた。


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熊野神社から始まり、それぞれの班が思い思いの場所へ赴き探索を楽しむ事が出来たようだった。
歴史保存会としてもこれ程嬉しいことはない。
歴史に興味を持つという事は後世に伝えていく為にとってもとても必要な事であるからだ。
探索終了後には多くの筆問も頂き、熱心に勉強してくれたことを物語っている。



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「何故こうなのか?どうしてその建物が建てられたのか?」

こう言った質問をしてくれた中学校の子供達に郷内の明るい未来を感じずにはいられない。



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この子供達が将来歴史的史跡の多いこの土地に生まれ育った意味を知り、それを誇りとして生きていける事を心から願っています。



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Date: 2013.11.27 Category: 未分類  Comments (0) Trackbacks (0)

戸山城跡

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木見と尾原にまたがる森池の近くの北岸、海抜189.6mの山城で地区内を一望

の下に見渡せる交通の要衛。

山頂は約四畝ばかりだが平坦で他に数反の平地があり本丸、二の丸、三の丸跡と思

われる。

城主は常山城主上野肥前守隆徳の家臣水澤(三澤)九郎座衛門眞吉(和泉守という)

と言われ、水澤(三澤)氏の先祖は代々長州の大内義隆、後には毛利輝元に属し,眞

吉の代に児島に移り常山城の出城として築かれた戸山城に拠たもののようである。

常山合戦で城主上野氏落城の時、水澤氏がどのような行動に出たものか不明である。

原三正氏は城を出て木見に土着したのであろうと書かれている。

眞吉は嘉永十八年(1642)十二月三日、七十二才で没し、法名晴窓常閉禅定門、墓は

三澤墓地にある。

南北朝時代には児島高徳居城の一つであったものとも伝えられる。
Date: 2013.11.20 Category: 三十三 戸山城跡  Comments (2) Trackbacks (0)

由加大鳥居の「金峨の龍」(由加参道大鳥居)

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由加大権現へ四方からお参りできるよう参道があり、それぞれに鳥居が建ってあるが、この

北参道ほど見事な鳥居はない。

この鳥居は木見村の木村喜八から木村太左衛門と下木見の三澤恵左衛門の二人が発起人とな

って建立された。

鳥居に玉垣があり狛犬ありと実に堂々とした鳥居だけに多額の費用を要したが、寄付は思う様

に集まらず、後の支払に苦労したとのこと。

それよりもっと大変であったのは、この石は下津井城跡に造っていたお台場(砲台)の基礎に

使う予定の石を無断で使ったため打ち首にすると言われて、村中あげて命乞いをしてやっと助

かったとつたえられている。

以来、木見村では天城様には恨みこそあれ、恩は無いと明治になって学校制度ができ、どこの

村も読み書きのできる武士を臨時の教師としたが、木見村では決して天城様関係の武士は雇わ

なかった.
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Date: 2013.11.19 Category: 三十三 由加大鳥居の「金峨の龍」  Comments (0) Trackbacks (0)

古市金峨の墓所

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金峨の生家跡より同じ山沿いの墓地の一角に、金峨の夫婦墓がある。

正面に「金峨弄玉居士霊」側面に「古市哲蔵号金峨」「明治十三年辰年三月十四日四歿」とあり、表には

「慈閣妙貞信女霊」側面に「古市美起 岡山旧藩野崎透女 行年六十八歳 明治十三辰年七月一日歿」と

ある。

野崎氏は岡山藩の藩医で、妻は金峨より四か月遅れで没している。

金峨という称号は、我が家の前に月が昇時、山が金色になるのでその名をとったとの事。

若い頃は、家が藍染をしていたので、藍山と号していた。

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Date: 2013.11.19 Category: 三十一 古市金峨の墓所  Comments (0) Trackbacks (0)

古市金峨の生家跡

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古市金峨は古里の生んだ日本画家で、文化二年(1807)十月、尾原.伊領のこの土地で生まれた。

家は農業の傍ら紐屋(染物屋)を営んでいた。

五~六才の頃から大変絵が好きで、友達と遊んでいる時でも棒切れで地面に馬や犬.人の姿を見事に

描くので、近所の人もこの子は将来絵描きになればよいとはなしていた。

その頃由加山は大変なにぎわいで、旅人や文人墨客の集まる所となっていて、当時津山藩士で絵描き

として有名であった弘瀬台山も逗留していた。

これを聞いた金峨の父は、金峨を連れて逗留先の島屋に行き、金峨の天分を見てもらった。

台山は金峨に画仙紙を渡し、これを模写してみろと赤壁の図(中国景勝地の絵)を見せたところ、金

峨は堂々とこれを模写した。

台山もその画才に驚き、将来は画をもって身を立てるように父に勧めた。

その時金峨は八才であった。


十五才の頃京都の四条派の画家で岡本豊彦の弟子となった。

岡本豊彦は今の倉敷市水江の人で、家はかなり力のある家柄で、当時書道で名高い宝島寺の寂巌の弟子

であった古市大円僧正の雄、松村呉春と長年親しくしていた関係で豊彦を呉春の門に入れた。

金峨が生まれる以前に大円僧正はなくなっているが、金峨が同族の古市なのでこれらの事情を知ってい

る者が弟子入りを世話したと思われる。


当時、豊彦は画壇の大家として多くの門人が居た。

金峨は豊彦の家に住み込み、拭き掃除から使い走りの雑用までしながら絵の勉強をした。

直接、師豊彦の教えも受け、兄弟子たちとも盛んに技を競って次第に頭角を現して来た。

二十二才の時、諸葛孔明の出書 (諸葛孔明が劉備の三癲の礼に感激して出仕する)を描いて

京都画壇の新星と言われるまでになった。

金峨が豊彦の画塾で勉強したのは約十年で、その後しばらくは当時の風習で諸国を回って、絵の

好きな旦那衆の所に逗留して画業に励んだ。

こうして郷里に住み着いたのは三十才頃と言われる。

尾原の自宅に帰ると、門長屋を画室として画業に励んだ。

四十才を過ぎてから何回か出雲地方に出向き、門下生にも教えもしたが、優秀な作品も残されている。

その道中で依頼されたのが津山、久世、落合、勝山、湯原、新見辺りで、かなりの作品が残されている

とのこと。

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金峨は温和な性格で、あまり人と争ったりすることは好まなかったそうで、近所の人から祝い事のため

とか、親戚んの新築祝いとか言われて絵の依頼があれば気安く描いていたようで尾原、木見の辺りの家

には、金峨の絵が多く所持されている。

次の寺院には慈眼院、竜虎の双幅鷲猿の双幅、一等寺、大和絵封に描いた六曲半双の山水屏風、真浄院

六歌仙の額が保管されている。

由加蓮台寺には昭和八年(1933)五月、金峨を讃える者が集って「金峨会」という会をつくり、五月十

七日、由加蓮台寺で佐伯僧正以下六名の僧によって五十年忌が行われ、その秋には蓮台寺で遺墨展が開

かれ、さらに事業の一環として郷土史家永山卯三郎撰文の金峨伯碑が建立された。

この碑は、蓮台寺観音堂正面奥の渡り廊下の奥側に設置されている。



Date: 2013.11.18 Category: 三十 古市金峨の生家後  Comments (0) Trackbacks (0)
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プロフィール

郷内歴史保存会

Author:郷内歴史保存会
ご訪問有難うございます。

私達「郷内歴史保存会」は、
今消えつつ有る、地元の貴重な
歴史の足跡を後世に残す為に
発足致しました。

更新につきましては、まちまち
ですが、勉強会や説明会、及び
地区のイベント等の情報を載せ
ていけたらと思っております。


基本は楽しく歴史を学べる場と
して、老若男女、沢山の方々に
参加して頂けたらと考えています。


これからもどうぞ宜しくお願い
致します。

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