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倉敷市 郷内地区の民話

              八兵衛の娘


昔、荘内という所に八兵衛という大変な力持ちの男が、住んでおりました。

あるとき、この八兵衛のかわいい娘が、熊坂にお嫁入りして来たのです。

この娘も父親に負けず劣らず、大そう大力の持ち主でした。

気立てが良く、夫にも姑にも良く仕え、なにしろ力があるので、野良仕事も、

山の仕事も何人前も働く事ができました。


ある日のこと、夫が庭先で、据風呂に入っていると、突然大雨が降り出し、

みんな慌ててしまいました。

そのとき、力持ちの嫁は、夫の入っている風呂桶を、ひょいと軽々抱えて軒下に運び込んだのです。

この様子を見ていた姑や家人は、大そう驚いて、この嫁に離縁を申し渡しました。


嫁は理由も無く離縁された事に非常に腹を立て、夫を小脇に抱え込むと表に飛び出し、

虹梁柱を片手で釣り上げたかと思うと、夫のちょんまげをその柱の根っこに挟み、

皆がわいわい立ち騒ぐのを尻目に、さっさと実家に帰ってしまいました。



郷内歴史保存会 入会のお問い合わせ


会長  田辺 進  TEL086(698)8977

事務局 小林 良三 TEL086(485)0062
             携帯090-1015-5012


標柱スポンサーになって頂ける方、募集しております。
 一基¥30,000~ご希望により標柱にお名前を入れさせて頂きます。
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Date: 2012.08.22 Category: 八兵衛の娘  Comments (0) Trackbacks (0)

倉敷市  郷内地区の民話

                吉祥坊大僧正


むかし吉祥坊に非常にすぐれた大僧正がおりました。

学徳もさることながら、たゆまぬ修業の功により、どんな時にも至らぬ所が無かったので、

五流一山でも一目置かれ尊敬されていました。

あまりに完璧な為、五流の内部の人も、外部の人も、あらゆる事を試みて、このお坊さんを

困らせようとしましたが、何一つ効目がありません。

なにせこのお坊さん、人の考えていることが、先に分かってしまうのですからどうしようもありません。

大層長生きであった大僧正、米寿を過ぎたある日のこと、弟子たちの前で「我、無用の長命をなさず」

と言い残して、人々が止めるのも聞かず、蟻峰山に登って行きました。

頂上に着くと、天から黒雲が舞降りて、大僧正を包み込み消えてしまいました。


僧侶

黒雲が消えた後大僧正の姿は無く、それ以後、誰も高僧の姿を見る事はありませんでした。

それで大僧正の霊を祀る小祠を建てたと言われています。
Date: 2012.08.20 Category: 吉祥坊大僧正  Comments (1) Trackbacks (0)

慈眼院



熊坂の薬師庵から尾原の慈眼院へのへんろ道は、向木見の田圃の中のあぜ道の様な道で、小橋株式会社のすぐ

下に見える郷内川に、歩行者用の橋が架かっています。

ここに高さ約170センチのコンクリートの擁壁があるその角に、へんろ道石標の頭が30センチ程のぞいて指差す方

向の手形がわかります。

そこから指差す歩行者の橋を渡って50メートル程進んだ所にある、住宅の先の石にへんろ道の石標があります。

このあぜ道がJR木見駅高架の下を通って真っ直ぐ森池堤防の下へ延びています。

この道がへんろ道で、木見駅の所までは、まったくのあぜ道です。高架橋からは広い道で、途中左側に「五十番へ」

の標識があります。森池の堤防に突き当たった所にも、石標らしき頭が見えますが、殆ど埋まっていて確認できませ

ん。

ここから堤防を斜めに上がって由加大権現の大鳥居の所へ出ます。ここからは、この由加北参道を900メートル程進

んだ尾原中央の左側に慈眼院の見える道にでます。

この坂道を50メートル余り上がると正面に「児島霊場五十番慈眼院」(年代銘無し)と骨太に彫られた、背丈以上もあ
る角柱札所石が迎えてくれます。

見上げると、お城かと思われるような高石垣の中央に、一直線に石段が伸びています。

この石段は弘法大師千五百年記念に、この石段の改築を発願して昭和四年(1929)八月起工、五年三月竣成したと

刻まれた記念碑が、石段脇にあります。



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札所  児島四国霊場 第五十番

    児島百番霊場  秩父第四番

寺号  新熊野山杉本寺慈眼院 <元禄17年(1704)備前記

    光玉山杉本寺慈眼院  <正徳4年(1714)寺社員数帳

    光応山大悲寺慈眼院  <元文2年(1737)備陽国誌

    魔尼山大悲寺慈眼院  <明治17年(1884)書上

宗旨  真言宗

本尊  聖如意輪観世音


沿革  お寺の開基は応徳元年(1084)で、その開山は長慶法印で、天正年間(1573~92)の中興の僧が、

    開山の僧長慶と同名であると、明細帳の在るそうですが、これは一等寺の長慶和尚が荒廃した慈眼院を再興 
    したそうです。

    しかし天保8年(1873)お寺は焼失しています。

    それまでの慈眼院は今の所もかなりたかい所にありますが、それよりも更に高い裏山に建立されていたそうで
    す。

    焼失後の天保13年(1842)、今の場所に再興されました。

郷内にの歴史探訪  田辺進編著より一部抜粋
    
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春境内の桜は、息を呑むほど美しく、しばし時を忘れさせてくれます




郷内歴史保存会 書籍


郷内地区の史跡が詳しく紹介されています。

一冊¥1,500

ご希望の方は、事務局にお問い合わせ下さい。

会長  田辺 進  TEL086(698)8977

事務局 小林 良三 TEL086(485)0062
             携帯090-1015-5012まで


なお本の収益金は郷内歴史保存会の運営資金として、大切に使わせていただきます。
Date: 2012.08.05 Category: 児島百観音霊場  Comments (0) Trackbacks (0)
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プロフィール

郷内歴史保存会

Author:郷内歴史保存会
ご訪問有難うございます。

私達「郷内歴史保存会」は、
今消えつつ有る、地元の貴重な
歴史の足跡を後世に残す為に
発足致しました。

更新につきましては、まちまち
ですが、勉強会や説明会、及び
地区のイベント等の情報を載せ
ていけたらと思っております。


基本は楽しく歴史を学べる場と
して、老若男女、沢山の方々に
参加して頂けたらと考えています。


これからもどうぞ宜しくお願い
致します。

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