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村岡先生と行く わくわく歴史探訪の皆さんと

先日、広島県より(村岡先生と行くわくわく歴史探訪)の皆さんがおいでになり、日本第一熊野神社、五流尊瀧院の辺りを散策されました。
そのご案内を郷内歴史保存会会長田辺がさせて頂くこととなり、短い時間ですが楽しい時をご一緒出来ました。
今日はその時の一部を紹介します。

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 熊野神社と五流尊瀧院を訪ねる

                                     
                                     郷内歴史保存会

                                    解説者  田辺 進


【日本第一熊野神社】 村岡先生と行くわくわく歴史探訪の皆さんと共に

         新熊野権現の領域と山伏寺、社僧寺


新熊野権現は、長床を修業の場とする山伏衆25家院と、35ヶ寺の寺院とが
奉仕して来た。

江戸期になって、池田光政が神官を送り込んで、神官・山伏・僧侶の3者で奉仕
することとなり、これを三方守護と言う。

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【五流尊瀧院宝塔】


五流関係宝塔


一、五流尊瀧院宝塔(国重文。後鳥羽上皇御影塔とも呼ばれる)
◆宝塔の造り   花崗岩製、総高3.755㍍、基壇幅2.42㍍

方形の基壇上に各挟間(ごうざま)のある分厚い基礎を置き、
1.07㍍の塔身は円筒形で、首部勾欄を一石で造り勾欄には四躯の
飛天女を刻む。
軸部には正面に大日如来坐像が彫られており、左右上下に扉軸の穴がある。
背面に梵字があったという。磨損は風化だけでなく、応仁の兵火にかかったためと言われる。

笠石の軒の四隅に、風鐸 をつるした穴があり、銅製風鐸 を垂れ,併せて相輪頂より下がる金属製鎖を
結び止めていた可能性が高い。

露盤には二つの格狭間を並べ、伏鉢、請花、九輪,上の請花と宝珠も整い(宝珠と上の請花は後補)
鎌倉時代の様式が良く出た、最高の丁寧さで建立されている。



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大久保利通の馬車


大久保利通の馬車

襲撃されたとき乗っていた血染めの馬車。イギリス製、二頭立て屋根付き。
襲撃当時のフロントガラスが破れたまま。

長さ3メートル.高さ1.8メートル.車軸1.5メートル 征韓派の士族に襲撃される。
明治11年(1878)5月、東京の紀尾井坂をこの馬車で出勤の途中刺客に襲われ
殺害された。歳49

昭和16年2月、永代供養を依頼して、利通の孫大久保利武氏から贈られた。


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Date: 2012.03.29 Category: 歴史探訪  Comments (0) Trackbacks (0)
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郷内歴史保存会

Author:郷内歴史保存会
ご訪問有難うございます。

私達「郷内歴史保存会」は、
今消えつつ有る、地元の貴重な
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更新につきましては、まちまち
ですが、勉強会や説明会、及び
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基本は楽しく歴史を学べる場と
して、老若男女、沢山の方々に
参加して頂けたらと考えています。


これからもどうぞ宜しくお願い
致します。

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