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 伝櫻井宮覚仁法親王墓(通称 櫻井塚)

櫻井宮覚仁法親王は、後鳥羽上皇の第4皇子(一説に第三、第五皇子ともつたえられる)

承久の乱の前年(1120)に都の乱を避け、当地へ下向したと伝えられている。

法親王は熊野三山の検校に補せられており、歴史家は法親王が当地へ来られたという史実は

無いという。

伝えられる所によれば、弘長三年(1263)三月、尊瀧院において薨去(こうきょ)、この中の島に葬ら

れたと云い、土地の人は「櫻井塚」と呼んでいる。

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● 石造十三層塔 覚仁法親王追福のため造立されたものだが、最初の石塔は損傷が激しく、明治の末に吉備津にある「福田海」が島全体の整備とと共に、石塔は損傷が激しかったので初重の軸部(鎌倉中期のもの)のみを残し、それ以外は全部取り替えた。
軸部に刻まれる仏は薬師(東)宝生(南)阿弥陀(西)不空成就(北)の各尊で、いずれも蓮弁のついた蓮華座に座す。


● 宝篋印塔  笠の上に相輪を頂く、笠の下の塔身には四方仏の梵字を刻む。
  東に阿弥陀如来、南に不空成就、西に阿閥如来、北に宝生如来。なお、台の右に銘文がある。
  
  正面  一切如来心秘密 全身舎利宝篋  印陀羅尼経塔

  左側面 経日若有有 情能於批等 種植善根必 定阿粻多羅

  背面 三莫藐三菩提 不退転乃至 応髄阿鼻地 獄若口靱批

  右側面 塔一礼拝一 囲 必得解 脱皆不退転 阿粻多羅 三藐三菩提
  
  燈籠 円窓と火口以外のところに仏の立像を彫り付けてある。
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Date: 2013.06.23 Category: 標柱建て  Comments (0) Trackbacks (0)

頼仁親王 姿見の井戸

6月15日久々の恵の雨の中、4本の標柱を建立いたしました。

皆様雨の中作業して頂きまして、ありがとうございました。


15 頼仁親王 姿見の井戸

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郷内地区に名水と言われる井戸(泉)が三か所ある。一つはこの姿見の井戸、

二つ目は串田の「息継ぎの井戸」の標柱の立った井戸。

三つ目は曽原清田八幡の入口下の左側下にある井戸で、いずれも地下にある井戸いずれも地下水が滾々と

湧き出て、いかなる日照りの時も水が枯れるということはなかった。

ところが、近年三か所とも水脈が変わったのか水質が悪くなり、特にこの『姿見の井戸』

は6~7年前の林地区を襲った水害以来、水量がほとんどなくなってきている。

この井戸の上段に、延応二年(1240)二月にお父君、後鳥羽上皇の御影塔を建立され、

この墓前に参前に参拝される時、井戸水で身を清めて参拝されたと伝えられている。

三つ目は曽原清田八幡の入口下の左側下にある井戸で、いずれも地下にある井戸

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頼仁親王


頼仁親王(よりひとしんのう、建仁元年7月22日(1201年8月22日) - 文永元年5月23日(1264年6月18日)は、鎌倉時代初期の皇族。後鳥羽天皇の皇子で、母は内大臣坊門信清の娘西の御方。卿二位こと藤原兼子に養育される。号は冷泉宮。



承元4年(1210年)、親王宣下。母の姉妹が源実朝の室だった関係もあり、建保7年(1219年)の実朝横死後は一時後継の征夷大将軍候補に擬せられていた。

承久3年(1221年)の承久の乱の結果、父の後鳥羽上皇らが配流されると、親王もこれに連座して備前国児島へと流された。同地において薨去したとされ、一説には児島高徳の遠祖であるとも伝わる。

岡山県倉敷市にある修験道の寺院五流尊瀧院の歴代大僧正は頼仁親王の子孫が務めていると伝わる。

Date: 2013.06.17 Category: 標柱建て  Comments (0) Trackbacks (0)

諸興寺のお薬師様

諸興寺のお薬師様

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新熊野三山であった内の一つ、木見の諸興寺は早くから無住寺となり、荒れ果ててきていた。

諸興寺の本尊である薬師如来像の所有について江戸時代(元禄年中一六八八~一七0四)五流山伏側と有南院

(後の一等寺)との間で所有権の争いがおこされていた。

この裁判記録が木見の三沢保氏宅に保管されているが、裁判は結論無し。

神仏に関する問題は、たたりを恐れて常時そのままにしている事例が多かった様だ。

薬師如来坐像は損傷が激しく文化財指定の対象外だが、各部に平安.鎌倉時代の特徴を残した古仏である。

と福田史談会会長 高橋氏は記している。

一説に六十四番札所 荘内滝の正蔵院本尊が、諸興寺の薬師如来座像であるとも言われている。

なぜ、この地に安置されているのかについての記録は無い。

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Date: 2013.05.19 Category: 標柱建て  Comments (0) Trackbacks (0)

薬師庵 薬師如来立像

薬師庵 薬師如来立像 

最近、庵の東側から大型車も横付けになる道が完成している。

福江側から来る「へんろみち」が正面右にあるが、文字通り人一人通れる昔のままの道である。

入口「大師道」側面「(梵字)」唯心知正信女」「明治三十五年三月二十二日」の石標、札所右境内に入る正面に

「児島百番霊場、秩父第三番薬師庵」、側面に「大正弐年七月建立 発起人 古市柳吉」

名号石 さきの尖った自然石に阿弥陀如来、勢至菩薩の梵字と「南無阿弥陀仏」、側面に「文化六己年(一八0九)
二月吉日建立之施主武平」

狛犬、自然石の台石の上に立つ阿吽の唐獅子(年代不明)

おそらく神仏混合時代の寄進であろう。

石燈籠 竿に「常夜灯」とあるが年代なし。

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札所児島百番観音秩父三番 薬師庵

宗旨真言宗 本尊薬師如来

開基 応仁年中(一三九四~一四二八)

薬師堂正面の本堂で、宝形造り平向排つきで西に一間の軒を出した本瓦葺きであったが、平成4年境内の南にあっ

た旧大師堂「外壁の寄進者銘板に文化十一年(一八一四)とある」を解体撤去し、本堂の軒一軒の張り出しも撤去

して本堂に接続して一棟として、本堂の屋根は銅版葺きとしたが、以前の様に宝珠.伏鉢.露盤を載せている内部は

本堂続きの一部屋とした。

本堂礎石は鎌倉時代と推定、上の柱は 欅の丸柱」で、ほぞ穴があり、他寺の古材利用である。

伝承 熊野権現を新築した時、その長床古材をもらって建てたと伝えられている。

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Date: 2013.05.19 Category: 標柱建て  Comments (0) Trackbacks (0)

舟形如意輪観音

舟形如意輪観音(西国33観音第一番) 

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(木見33観音.第一番)とも呼ばれている。(住心院境内)

この観音様は、西国33観音の第一番の紀州西岸渡寺の如意輪観音様で、この一番札所から天満宮の西側を通って

住心院の奥ノ院毘沙門堂に至る間に」、33体の観音石仏を配置して造られたミニ西国霊場。

この霊場を発願したのは山田弥吉で、弥吉の家は旧県道から正無田方面に入る三叉路の処「はりまや」という屋号

の家。

伝えによると明治の初め、弥吉は西国33観音霊場巡りをして帰ったが、当時は大変な日数と費用が入用であった。

店に来る、特に女の人たちから羨ましがられ、弥吉は意を決して木見にミニ西国霊場をつくり、皆さんにご利益

を受けていただくことを決心した。

これは西国33観音霊場に参って、そのお寺で祈念してもらったお砂を持ち帰り、奉納されたその霊場の石仏の

下にお砂を埋めるところの石仏にお参りすれば、現地の霊場にお参りしたのと同じ御利益が受けられる、と言われた。

この石仏を寄付して下さる人を』募ったが、主に畑から熊坂にかけての奉納者の名前が石仏に刻まれている。

一霊場にずつ完成させていったので、約20年を要して満願を迎えたとのこと。



山田弥吉奉納一番札所の石仏は、豊島石のため風化が激しくなったので、高木住職が新しく発注

して平成21年お迎えした如意輪観音である。




如意輪観音

日本では「如意輪観音菩薩」、「如意輪観世音菩薩」、「大梵深遠観音」などさまざまな呼び方があるが、重要文化財等の指定名称は「如意輪観音」となっている。また「救世菩薩」とも呼ばれる。

如意とは如意宝珠(チンターマニ)、輪とは法輪(チャクラ)の略で、如意宝珠の三昧(定)に住して意のままに説法し、六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間の利益を与えることを本意とする。如意宝珠とは全ての願いを叶えるものであり、法輪は元来古代インドの武器であったチャクラムが転じて、煩悩を破壊する仏法の象徴となったものである。六観音の役割では天上界を摂化するという。



Date: 2013.05.19 Category: 標柱建て  Comments (0) Trackbacks (0)
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郷内歴史保存会

Author:郷内歴史保存会
ご訪問有難うございます。

私達「郷内歴史保存会」は、
今消えつつ有る、地元の貴重な
歴史の足跡を後世に残す為に
発足致しました。

更新につきましては、まちまち
ですが、勉強会や説明会、及び
地区のイベント等の情報を載せ
ていけたらと思っております。


基本は楽しく歴史を学べる場と
して、老若男女、沢山の方々に
参加して頂けたらと考えています。


これからもどうぞ宜しくお願い
致します。

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